福島市と郡山市へ行って来た。震災後初めての東北。
あれ以来ずっと考えていた自分というパズルのピースが、収まる場所を見つけたと確証を持てたから。それが、みんなの森財団が今年の夏も行う、福島っ子元気村キャンプ。
今回、春のキャンプ報告と夏のキャンプの説明会ということでの福島行。
僕の目的は、実際の福島をこの目で見て来る事。
何も変わらないような顔を見せる福島市と東吾妻山前日泊まったホテルから会場の福島テルサへ歩いて向かう、目の前を通学の高校生たちが自転車でいつものように学校へ向かっている(きっといつもの様になのだろう)。何も変わらない風景であるけれど、ここは僕の住む東京の多摩地域より線量で最低20倍ぐらいの差が有るはずの場所。この線量が身体にどう影響するのか誰も本当の処を知らない、だから怖い。僕は短期滞在者ではあるけれどやはり心は重い気持ちになる。その気持ちと、この青空と、通学風景がどうもミスマッチで心が落ち着かない。
そんな気持ちで横を通り過ぎる彼らを見、会場へ向かう。

報告会が始まる。
スクリーンに映し出される我が子の写真に参加してくれたお母さん達から笑い声があがる。
この場面だけを切り取れば、同じ状況だったら日本全国共通の様子なのだろうが……
みんなの森からの報告も終わり休憩をはさんで今回の本題に入る。それは、福島側のお母さん達による保護者会の立ち上げを提案するという事。
お母さん達の話を聞いていくと、保養キャンプという名目で福島の子供たちを受け入れている団体は沢山あるのに、福島にはそれに参加しない子ども達が沢山いるのは何故だろうという疑問が解けて行った。それは、情報の不足、福島側と受け入れ団体側のミスマッチングが主な原因ではないかという結論に達した。
この手の情報を探せるのはパソコンを使う一部のお母さん達で、大部分のお母さんは携帯メールが主流。周りにそういうお母さんがいないと情報が入らない。そういう情報が入っても団体によっては参加が抽選だったりグループ参加は禁止だったりと条件に合わないことも多いとのこと。そこで、次はお母さんたちの望む事を聞いていく事に。結果、終了時間になっても話が終わらない。僕らも話を聞き足りないし、お母さん達も話足りない。逆に、これからお母さん達の本音が出てくるのではという勢い。
お母さん達の話を聞いている間、子ども達はガメラ(吉沢氏)とレクタイム。室内で騒げないという制約の中、1時間でここまで手なずけてしまうガメラ、さすがです。今回はお母さん達の話を聞くためにその技は盗めなかった、残念www撤収後、即行で郡山市へ移動。昨日は夜来た為に街の様子は見られなかったが、昼間にじっくり見ると、所々に震災の後もある。東北道に乗ると二本松市の外れから山を抜ける為登りになる。地形的に福島市より二本松市の方が線量が高いという理由が一目瞭然。
郡山市到着、市役所の駐車場に車を止める。市役所はフェンスに囲まれ修理工事中、窓ガラスは所々ベニヤ板で塞がれ、窓からは天井の落ちた部屋もあちこちに見える。後から聞いたのだが、ここでは郡山市でただ一人震災で亡くなった方がいたそうだ。 合掌
会場となる市役所裏の福祉センターへ。
郡山市での報告会の様子お母さんの話を聞き取りする後半は、今度は僕が参加してくれた小六の女の子3名とレクタイム。正直僕は娘を育てた事がないのでこの年代の女の子とのどう関わっていいのか判らず、市役所の目の前にある開成公園へお散歩して彼女達から学校の話を聞く事に。話をまとめると、行政が除染を行った場所ではもう線量を気にせず普通に生活しているとのこと。除染したという事実をそのまま素直に受け入れ、それ以上は気にしていない(気にしていられない)とも言っていた。それを裏付けるように公園では小さい子たちが遊びまわっている。勿論彼女達の内心は他の所にあったとしても、表面上はもう済んだ事として扱っているように僕は感じた。
開成公園バラ園にて。何事もなかったように咲いている春のバラ
公園のあちらこちらにこんな看板が立っている。この除染後の0,5という数値は事故前の約10倍の値であるあるお母さんの言葉
「子供の将来のことが不安になる。就職のこと、結婚のこと、出産のこと。県外にでてつらい思いをするのなら、県内の子供どうしで結婚した方がいいのではと考えてしまう。」
理不尽とか不条理という言葉が浮かぶ、そこに輪を掛けて、遣る瀬無さとかやり場のないとか宙ぶらりんの言葉が絡まる。そんな中で人々が何事もなかったかのように生活している。
帰りの車の中であまりにも重いモノを自分で背負い込んでしまったなと思った。中途半端に関わるのが嫌で、時期が来ればお役が回って来るとも考えていたのだが。
自分のやれる事を精一杯粛々とやるだけと決心を新たにするヤマミチでした。