プロフィール

野風ヤマミチ

Author:野風ヤマミチ
1980年よりフリーランスフォトグラファーとして活動。1990年ごろから環境問題の雑誌に関わったことをきっかけにエディター、ライターも兼ねるようになる。時を同じくして子供の頃より関わってきたボーイスカウト活動にリーダーとして復帰する。2001年ボーイスカウトの制服を脱いでからノンフォーマル・エデュケーション(野外教育、環境教育、冒険教育等)を仕事の柱に据え活動、執筆をしている。
現在シングルトラック・プロジェクト野風を主催、マウンテンバイクのスクール&ガイドインストラクター、小中学生の野外活動インストラクター等も務める。
1960年東京生まれ 趣味 手作りの道具で野宿、焚火、山旅

資格
日本マウンテンバイク協会 B級インストラクター
INBA ナショナル・マウンテンバイク・パトローラー
WMA ウィルダネス・アドバンスド・ファーストエイド取得
WMA ウィルダネス・ファースト・レスポンダー取得
AHA  ハートセイバー・ファーストエイド ハートセイバー・CPR・AED 取得


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古本屋にて 2009年10月24日23:35

仕事帰りに久し振りに立ち寄った街の古本屋に、これも久しぶりに立ち寄った。久しぶりの街なのだから、これは当たり前か。
すると、これまた久しぶりの古本に出会った。だけどその本は古本と言うにはあまりにもピカピカしていて、時間を飛び越えてこの本棚にやってきたかのようにそこにいた。僕を見て「やぁ、久しぶり」と声をかけてる気がした。

僕が二十代の始めに本屋にこの本が並んだときに、この題名と表紙のイラストに引きつけられ手に取った本だった。奥付を見ると昭和58年5月20日初版となっている。僕は、23歳。モトカミと結婚したばかりの頃だから、その当時住んでいた新宿の新大久保の駅の側の本屋で見たはずだ。仕事仲間の編集者がこの本の題名を口にしていたのを思い出す。

この当時僕は翻訳物のアメリカ文学に夢中で日本の文芸には一切興味を示さなかった時期だったと思う。ヘミングウェイに感激しその文体を引き継いだようなチャンドラーをこよなく愛していた時期だった。だから彼の言葉は馬耳東風。

ベトナム戦争の終結と共にアメリカという国の威信は揺らいだけれど、世間的にはまだまだアメリカという国の幻想からは抜け出していなかったこの時期、子供の頃から憧れだった国の古き良き時代を垣間見せてくれるハードボイルド小説は僕に新たな憧れの芽吹きを見せてくれていた。

だけどこの表紙のイラストと題名にはいたく食指を動かされた。ドメスティックな泥臭さが一切無く、しかしアメリカンポップカルチャーのバタ臭さではない和風のバタ臭さの装丁。特にこの表紙のイラストレーターは好きで青山のギャラリーに個展を見に行ったこともあった。なのに、この本が短編集だと言うことも知らなかった。当時本屋に並んだこの本を見て、ホントに表紙を眺めていたんだろう。いや、手に取って見たかもしれないし1、2ページぐらいは読んだかもしれないが、この表紙のイラストと本の題名に飲み込まれてしまったのだろう。

その本が今、僕の目の前にある。
この作家はその後ベストセラーを多く世に出し続けて現在に至っている。なのに、僕の中のこの作家との接点はこの本の題名だけだ。
折角だから読んでみることにしよう、26年前の自分でも思い出しながら。

そして、この本の題名は“中国行きのスロウ・ボート”
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そして百億の古本屋と千億の古本へ編 タマには古本屋や本の話でもしよう最終回 2009年03月14日12:34

自転車や森と同じぐらい好きなものが本であり古本屋。
息をするように、水を飲むように、自転車を漕ぐのと同じように本を読むのが好きだ。いや、僕にはどれも必要だ。

僕の古本魔境の入り口は早川のポケットミステリーだった、これにさえ出会わなければ。いや、きっと、どうせ別のもんで引っかかっていただろうから結果は同じwww
それは、棺桶エドと墓堀ジョーンズシリーズ。ハーレムの黒人刑事二人組の話し。友達から面白いぞとは聞いていたけどいくら捜しても見つからなかった。
そして神田でやっとポケミスを大量に置いてある古本屋を二軒発見。この二軒で棺桶墓堀が全巻そろった。もちろん見つけたのはそれだけではない、チャンドラーがずらっと並んでいるのは当たり前だろうけど、見ていくと同じ長いお別れでも値段が違う。それも百円二百円ではないなんと千円以上。なぜ?
それは、奥付を見ると納得。初版。な~るほど、でもその時の僕には関係のないことだった。ただ、読みたい本が読めればそれでよかったから。そしてその時初版で見つけたのが、大好きなギャビン・ライアルの「深夜プラス1」値段2500円、ポケミス初期の箱入りは特に高いみたいだった。ここまでの話なら、欲しい本も見つかったし珍しいものを見たで済んでいたのかもしれないのだが…
それから、しばらくして、新宿のネオン街は東の外れ抜け弁天にある古本屋を見つけ寄ったときのこと。
古い木造一軒家の昔からのただ住まいの古本屋、白髪のおじいさんが帳場に座りめがねの奥から客をちらっと見るあの古本屋。
そこの一角に一段だけだけど神田で見たポケミス達があったのです。箱入り初版でどれも一冊300円。チャンドラーにグレアム・グリーン、ギャビン・ライアルと。この瞬間からただの本読みがマニアへと変身したのかもしれないwww
その場で欲しい10冊を選び、そのまた奥にあった幻の「ホレーショ・ホンブロワーの生涯」500円もついでに買い、さらに帰りに家具屋へ寄り文庫専用のラック3800円也も購入、財布は空っぽ、古本屋マニアの一丁上がりwww

「ホレーショ・ホンブロワーの生涯」についてちょっと書かせてもらうと
早川文庫セシル・スコット・フォレスター著、肖像画イギリス海軍ものでホレーショ・ホンブロワーシリーズの主人公。時はナポレオンやネルソン提督の帆船の活躍していた頃のお話、一士官候補生の少年が提督になるまでの大河小説なのだが、イギリスでは実在の人物と信じられ「ホレーショ・ホンブロワーの生涯」なる伝記まで出てしまった。この偽伝記にはご丁寧に家系図、肖像画まで載せてあるwww
この完訳本なんだけど日本で売れるわけもなく絶版となっていた。
そんな貴重なマニア本。その後の二十年間で後一冊目にしただけ。

興味のない人にはなんの関係もない楽しみの世界。なんの世間的な利益も生まない世界。ただし、その本人の心には絶対必要不可欠な欠くべからざる要素。ここに個人的な文化が生まれると僕は考える。僕の中で文化になったからこそ“百億の古本屋と千億の古本”にであえたのだ。古本万歳www        

おわり

タマには古本屋や本の話でもしよう第2回   神田編 2009年02月08日19:12

自転車や森と同じぐらい好きなものが本であり古本屋。
息をするように、水を飲むように、自転車を漕ぐのと同じように本を読むのが好きだ。いや、僕にはどれも必要だ。

前回の、高田馬場は高校生の頃の話しだが、神田は中学生の頃には歩き回っていた。このころは古本屋よりも三省堂や書泉が中心ではあったが、東方書店や洋書屋を覗いたり当時は一軒ぐらいしかなかった漫画専門店で時間をつぶしたり(今みたいにテープで閉じてあるなどと言う無粋なことは無かった)と結構一日楽しんだ覚えがある。東方書店というのは中国書専門店、毛沢東、周恩来の時代だから、まだ人民服、人民帽に毛語録、横浜の中華街とは違う当時のリアルチャイナを体感を出来る空間だった。

この頃、何を読んでたかと言うと、早川文庫のSFがメインじゃなかったかな。テレビでやっていたキャプテン・ウルトラという円谷の作品の原作、キャプテン・フューチャーシリーズ。ウルトラセブンの後にワンクールだけやっていたマイナーな番組だったけど、なんか好きだった。その原作を見つけハマっていた。話しは完全なスペース・オペラ。太陽系をキャプテン・フューチャーが仲間の宇宙人とロボットと三人?で駆け回り悪を懲らしめるというもの。でも当時の僕は夢中になって小遣いをつぎ込んだ。後は、ブラッドベリ、アシモフ、小松左京、ハインラインなど定番をぼちぼち。
それともう一つは小学校の頃に読んだ少年少女版の世界の名作文学シリーズをオリジナルを読んでみたくて捜して手にした。その最初がレ・ミゼラブル。この分厚い全三巻を読むのに一年かかった記憶がある。これが早稲田編に書いた世界の近代文学を経てヘミングウェイ、ハードボイルドへ繋がっていく。
そしてこのハードボイルド小説がきっかけで神田の古本屋を巡り歩くことの始まりだった。

ハードボイルド小説、冒険小説を読みだしたのは二十歳前後。
この頃、もうすでにマイナーなものは絶版になっていて、普通の書店では手に入らないものが結構あった。そのために古本屋巡りが本格的に始まることになる。もちろん最初は地元の早稲田を回ったのだが、専門店、学術書の店が多くてエンターテイメントは店頭に置いてある店が多く期待出来なくて昔なじみの神田へと向かったしだい。
向かったのはいいがここには早稲田のざっと10倍以上の古本屋がある。それも、一本の通りを歩けばいい早稲田とは違う。これが人生の古本魔境への第一歩だったとは気づくはずもなく歩き回るのだったwww

つづく

タマには古本屋や本の話でもしよう   高田馬場、早稲田編 2009年01月29日18:31

自転車や森と同じぐらい好きなものが本であり古本屋。
息をするように、水を飲むように、自転車を漕ぐのと同じように本を読むのが好きだ。いや、僕にはどれも必要だ。

二十歳まで新宿の早稲田に育ったので、興味を持つ年頃には古本屋とJazz喫茶と映画館には事欠かなかった。高校生の頃の帰り道、部活、アルバイト、デートのない日は山手線高田馬場駅で降り、地下鉄東西線を一駅分早稲田方面に歩く。Jazz喫茶が三軒、映画館三軒その内訳は名作座が二軒、後の一軒は知る人ぞ知るATG(アートシアター・ギルド)そして数えたことはないが2、30軒の古本屋、普通の本屋は5軒有ったか無かったか。

見たい映画があれば映画館へ、ちょうどぴあが創刊されたころで、随分映画や舞台を見るのに便利になった。もちろんw買わずに立ち読みで高田馬場の情報を仕入れていた。今、本屋で写メで雑誌の情報を仕入れる輩がいると言うが、思い出してみれば人のことを言えた義理でもないみたいだw

見たい映画の無いときはぶらぶらと古本屋を覗いて歩く、今でこそ綺麗な洒落た古本屋もあるがその当時は愛想のない鉄筋のビルか木造の一軒家かだった。鉄筋のビルの店は蛍光灯でまぶしいぐらいに明るくリノリウムの床、木造一軒家の店は薄暗い店内と奥に行くほど漂ってくるカビの臭いそしてコンクリ剥き出しの床、奥に帳場がある作り。昔から変わらなかったように思う。
自分がどんな本を探していたのかも覚えていないが、と言うよりホントにただのぶらぶら歩きだったのかもしれない。欲しいけど高くて買えない本を手にとって眺めていたのはよく覚えているのだが。ただ、本を買っても買わなくても阿部坂上(現在のグランド坂)のもずというJazz喫茶には必ず寄った。木造モルタル看板作り八百屋の二階にあったこのJazz喫茶には大学を中退する頃までお世話になるのだが、それはまた別の話。作り置きのコーヒーをミルクパンで温めて白い分厚いコーヒーカップで出てくる典型的なJazz喫茶のあのコーヒーが懐かしい。

その当時自分がどんな本を読んでいたのか思い出すと、外国文学の近代の名作と言われる小説がほとんど、フランス、ロシア、ドイツ、アメリカ文学と言う順番で読んでいき最後に高3でヘミングウェイに行き着いた。自分の求めていた世界がそこには広がっていた。それは、マチズモと冒険の行間にあるやせ我慢と優しさ。この、ヘミングウェイの世界に惹かれたのだと思う。
この後、ハメット、チャンドラー、ロス・マクとハードボイルド小説にのめり込んでいく。

つづく

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